YO-TAの詳細プロフィール
YO-TAです、初めまして。

このページでは
YO-TAのプロフィール・生い立ちを
赤裸々にお話いたします。
かな~り長いので
何日かに分けて読むのも
いとおかしです♪
お茶とポテトチップスの用意はできましたか?
涙あり笑いありどんでん返しありの
感動巨編なのでティッシュとハンカチも必須です。
では、始めます(*´∀`*)
プロフィール
名前:YO-TA(秋葉 陽太)
性別:男
誕生日:1983年10月29日
身長:177cmくらい
体重:63kgくらい
バスト:87cmくらい
職業:自由人(専業アフィリエイター)
レベル ↓

※2010年07月更新
力:ない
体力:ない
賢さ:ない
運:ない
HP:999(タフです 笑)
MP:0
経験値:2009年9月からアフィリエイト開始
趣味・娯楽
アフィリエイト
エレキベース
ドラム
ピアノ
麻雀
ファッション
漫画読むこと
映画鑑賞もしばしば
【 所有楽器 】
ミュージックマンスティングレイの5弦モデル

音楽の専門学校時代に自作したベース

ROLAND V-Drums

KORG SP-250

【 所有エフェクター 】
SANSAMP ベースドライバーDI PROGRAMMABLE
BOSS コーラス CEB-3
BOSS フランジャー BF-3
Guyatone パワーサプライ AC105

【 好きなアーティスト 】
RADIO HEAD
MUSE
NIRVANA
ミスチル
スピッツ
昔のラルク
【 麻雀の好きな役 】
七対子
国士無双
【 出したことのある役満 】
大三元
国士無双
地和
【好きなファッションブランド】
ナノユニバース
ポールスミス
バーバリーブラックレーベル

アリゾナフリーダム

【 好きな映画 】
ショーシャンクの空に
バタフライ・エフェクト
SAW(1のみ)
【 好きな漫画 】
デスノート
カイジシリーズ
ドラゴンボール
ハンター×ハンター
【 好きな女優 】
小倉優子
榮倉奈々
生い立ち
ここから生い立ち話です♪
1983年10月29日、
千葉県松戸市のどっかの病院で
2800kgくらいで生まれる(アバウト)
家族構成は28こ上の父と母、
それと3つ上の兄です。
あまり小さい頃の記憶はありません(ノ∀`)
3歳くらいまでは千葉県松戸市在住だったのですが
それから2~3年くらい父の仕事の都合で名古屋に居ました。
名古屋に居た頃の記憶は
ささやかながらあります。
母が幼稚園に中々迎えに来ない日があって
一人で家に帰ったことと・・・
社宅の隣の部屋の子がゲームボーイを持っていて
よくマリオをやらせてもらっていたのだけは覚えています(笑)
6歳のときに千葉県松戸市へ帰ってくる。
それからはずっと同じところに住んでいます。
(今は実家の近くで一人暮らし)
この頃からエレクトーンと
スイミング教室に通うことになり
これは小学校卒業まで続く。
小学校低学年
低学年のときは外で遊ぶよりも
テレビゲームをやっていることのほうが
多かったです。
「ドラクエとか何が楽しいん?」
と思ってたのですが、
ファイナルファンタジー4に出会ってからは
RPGにどっぷりです(ノ∀`)
ドラクエは1~9までやってるし
ファイナルファンタジーは1と11と13以外は
全部やっています。
ドラクエで好きなのは5
ファイナルファンタジーで好きなのは6・・・かな?
あ、小学校低学年のときスポーツ苦手だったけど
「ドッジ弾平」っていう漫画の影響で
ドッジボールだけは得意だったんですよ。
知ってます?
ボールに炎のマークが描いてあるヤツ(笑)
あと、当時は絵を描くのがめちゃくちゃ好きでした。
自分で言うのもおこがましいですが
すごく絵がうまかったです(笑)
ドラゴンボールの絵とか描くと、
「これ写し絵でしょ!?」
って言われることはザラでした^^
漫画とかも描いたりして
それを友達に見せるのが
楽しみでしたね~。
夏休みとか、長期の休みを挟んでしまうと
しばらく漫画のことについて触れられなくて
寂しかったんですが、少し経つと・・・
「漫画の続きある?」
って聞いてくれるんです。
やはり、漫画もブログもメルマガも
読まれてなんぼです><
読んでくれる方がいれば嬉しいのです。
この頃の将来の夢は「漫画家」でした。
小学校中学年
この頃が一番悪ガキでした。
「不良自慢」みたいのは
みっともないと思いつつも
あえて書かせていただきます。
はい、授業をサボッてケンカに明け暮れていました^^;
(10歳とかのガキがですよ 笑)
こちらを見ているヤツがいれば・・・
「なにガンつけてんだよ?」
みたいなノリで
ケンカを売りまくっていました。
ドラゴンボールとかの影響で
「最強」に憧れてしまったのでしょうか?
アイタタタタ(ノД`)
担任の先生から毎日
自宅に電話をかけられて・・・
「お宅のYO-TA君が!!!」
って、しょっちゅう親は
呼び出しをくらっていました。
母ちゃん、昔はゴメン><
ケンカに明け暮れても
漫画は描いていました(笑)
小学校高学年
中学年と比べてかなり落ち着きました^^
髪型などにも気を使ったり
色気づいていきた年頃です。
当時流行っていたアニメ「スラムダンク」が始まる頃に
丁度バスケにハマり、ミニバスケットボールチームに入りました。
ポジションは主に「セカンドガード」
スラムダンクで言えば「三井」みたいなポジションです。
(あんな3ポイントシュート入りませんけど^^;)
周りからスラムダンクの影響で
バスケを始めたと思われるのが
すごくイヤでした。
バスケを始めたきっかけは
体育の授業でやって面白かったからです><
バスケにハマッたのと引き換えに
「漫画家」という将来の夢を捨てました。
スポーツをするようになって
漫画家というものがオタクっぽいものに
感じるようになってしまったのです・・・。
今思うと、なんてもったいない><
「おい!昔のYO-TA!!!」
「お前には漫画のほうが才能あるぞ!!!」
「バスケより漫画描け!!!」
中学校時代
バスケ部に入部しましたが
1年時はほとんどサボッていました。
周りに自分より上手いヤツがわんさかいて
試合に出れなかったので、だんだん部活に
行きたくなくなりました。
んで中1にして髪を染めたり・・・
あぁ・・・何て単純な><
中1が終わるころに部活の顧問ときっちり話す機会がありまして
その時に「部活を続ける」と宣言しましたので
それからは引退までしっかり部活に出ました。
(約束は守る男なのです!!!爆)
今思うと、あの時
部活を辞めなくて
本当に良かった。
当時の部活のメンツとは
今も時折会って飲んだりする仲です。
たまに部活の顧問の先生も交えたり。
部活辞めていたらこういう関係は
断たれていたでしょうからね^^;
中学2年のときに3つ上の兄の影響で
エレキギターを始めます。
当時コピーしたバンドは、
ルナシー
グレイ
ラルク
など、超ド定番です。
しか~~~し、中学3年のときに
友人の家でベースを弾かしてもらい
衝撃を受けます。
「こ、この音は!!!」
ってな感じに(笑)
そんなベースとの出会いから
高校に入学と同時くらいに
ギターからベースに転向です。
この頃の夢は「プロミュージシャン」
高校時代
第一候補の公立に落ちてしまい
私立の男子高に行くことになる orz
公立に落ちたときは泣きました(爆)
「オレがっ・・・男子高なんてっ・・・ありえねぇだろっ・・・!!!」

一緒に合格発表を見に行った友達は受かってたので、気まずそうにしていました。
採点したときにもう泣きはらしてたから
合格発表のときは泣かなかったのに><
「気にしないで」って言ったのに!!!
・・・でもしょうがないですよね^^;
逆の立場だったらやっぱり
気まずいですもん(ill´Д`)
高校に入学したと同時くらいに
ファミリーマートでアルバイトを始めました。
一刻も早くエレキベースを買いたかったからです^^
ファミリーマートのアルバイトは
5年続けました。
1回辞めたりもしましたが
他のバイト先が潰れたので
戻ってきたり(笑)
高2のとき、ファミマの先輩と
バンドを組みました^^
メンバーがみんな4つ上で
バンド経験もあって・・・。
最初の頃は足を引っ張ってばかりでした><
そんな状況を良しとするはずがなく
もう猛練習の日々です。
軽音部とかに所属しているワケでもないので
わざわざ学校にエレキベースとミニアンプを持って行って
休み時間のわずかな時間を使って練習していました。
時には学校をサボッて練習です(爆)
親に何か言われたら
こう言うつもりでした ↓
「いつも同じように学校へ行っても何も変わらない」
「それなら一度くらい学校サボッて
ベースの練習をしてたほうが
オレの人生にとってはプラスなんだ」
やばい、自分で書いててかっこいい・・・(爆)
そう言えば当時好きな子と遊ぶために
早退したりもしていたな・・・(笑)
友達との旅行にもベース持参したときは
みんなに引かれましたね~^^;
高3のとき、先輩たちとのバンドが解散。
ボーカルの人が大学で忙しくなってしまったため
バンドが機能しなくなってしまったのです><
高3の終わり頃に兄とバンドを組みました。
兄がボーカル・ギター
YO-TAがベース
楽器屋のメンバー募集の張り紙で
ドラムを見つけてバンド活動開始です。
バンドを組んで2か月くらいで初ライブ。
緊張して棒立ちでベース弾いていました(*ノノ)
専門学校時代
高校卒業後、専門学校に入学。
専門学校はESPミュージカルアカデミーといふところ。
「ミュージカル」といっても
踊るワケではありませんよ^^;
当時、ビジュアル系アーティストの全盛期だった頃
皆がこぞって使っていた楽器がESPというメーカーでした。
ESPというのは主に楽器のオーダーメイドを
しているメーカーです。
そのESPの学校の「ギタークラフト科」に
YO-TAが入学した、というワケです^^
この頃は彼女にかまけてばかりでした(*ノノ)
専門学校2年時、
進路という人生の分かれ道に
立たされました><
とりあえず進路相談室に行って、
「楽器の工房に入りたいのですが・・・」
と、言いました。
そのときの進路指導の先生の言葉 ↓
「あ~、ぜんっぜんオススメできないね~」
( ゚д゚ )
何でも先生曰く
楽器制作の業界は
すこぶる給料が悪いらしいのです><
過去の卒業生で月給3万円で工房に就職した方もいるとか・・・。
日給じゃないですよ!!!月給ですよ!!!
「稼ぐ系」で日給8万円という情報商材がありますが
その日給にすら負けています orz
どんなに工房のトップになったとしても
年収500万程度が天井だとか・・・。
小学生のときは漫画家を目指して
中学校のときからミュージシャンを目指していたYO-TAには
耐えられない給料でした。
やっぱり印税とかで楽をして過ごしたいじゃないですか(笑)
専門学校卒業後
で、結局専門学校卒業後は
「ファーストキッチン」という
ファストフード店の契約社員として入社。
今思うと何でファストフード店だったのか???
自分でも疑問です^^;
でも若い子といっぱい遊べたので良しとします(爆)
ファーストキッチンの契約社員(店舗マネージャー)として
入社し、半年が経った頃、ある事件が起きました。
失恋っ!
(ジョジョ第1部の「恋っ!」っぽく言ってみました)
高校卒業と同時くらいから
付き合っていた彼女と別れました(ノД`)
その彼女とは、小学校、中学校と一緒で
高校卒業後の中学校の同窓会で意気投合して
付き合ったというまるでドラマのようななりそめ(笑)
ドラクエ5ではフローラよりもビアンカ派のYO-TAにとっては
そういう幼馴染シチュエーションは気に入っていました(爆)
両者ともに親と面識もあり、結婚を前提だったため
彼女との別れはかなり心が打ちひしがれました orz
振られてからしばらくは「鬱」というよりも「躁」状態でした。
やたらテンション高くなってたんですよ^^;
当時のファーストキッチンの同僚には
迷惑かけたと思います><
でも、彼女と別れたのをきっけかに
色々と考えるようになりました。
そもそもミュージシャン目指していたはずなのに
女にばっかかまけてバンド活動はおざなり・・・。
(彼女のせいにしているワケではありません^^;)
オレの人生・・・こんなモンじゃねぇっ・・・!!!
そこからは行動が早かったです。
バンドを本格的にやりたいと思ったので
ファーストキッチンの店長に宣言しました。
「契約社員辞めます」
「今後はバイトとして雇ってください」
「これからはバンド中心に生活したいんで」
・・・という感じで
バイトマネージャーに降格。
彼女に振られたのバネに
本気でバンドをやると決意しました。
この頃、YO-TAは21歳。
それからは激動の2年を過ごすこととなる。
バンド時代
高校の終わり頃に組んだ兄とのバンドは
ライブ活動こそ休止していたものの
スタジオでの練習はずっと続けていました。
「とりあえずライブに出演しよう!!!」
・・・と思い、
スタジオ練習で自分達の楽曲を録音し
ライブハウスに単身で乗り込みました。
「自分のバンドでライブに出たいんです!!!」
若いって素晴らしいわ(ノ∀`)
ライブ活動を開始してからは
今までの2年半の休止状態が
ウソのように行動しました。
本格的にレコーディングをし
無料配布CDを作成。
それをひたすら量産し
バイトが休みの日は各地のライブハウスへ行き
無料配布CDを設置してもらう。
主にこの活動、YO-TA一人でやっていました。
自分だけがやる気満々だったんだと思います^^;
YO-TAがこれだけエネルギッシュに動けたのは
これまでの人生で3回だけです。
で、これがその1回目。
あとの2回はこの後お話しますね。
マイナー音楽雑誌にYO-TA達のバンドが掲載。
インディーズレーベルのオムニバスに楽曲提供など
やはり精力的に活動すると何かしらの変化はあるんですよ^^
ライブを通して
中学校時代の後輩と対バンとして再開するなど
面白い出来事もありました。
ですが、兄とのバンドは
本格的に活動を再開してから1年半で解散。
理由はドラムの脱退です。
恐らくYO-TAがやる気ありすぎて
重荷になっていたんだと思います><
その頃、↑ で語っている「中学校時代の後輩」から
YO-TAにベースとしての加入依頼がありました。
兄とのバンドはイギリス系ロックでしたが
後輩のバンドはヘヴィ系ミクスチャー。
(kornみたいなの 笑)
まるでジャンルが違います(ill´Д`)
Hey!
なにYO!
オレにRAPでもしろってのかYO!
ちぇけら!
結局加入しました^^;
慣れないスケーター系ファションに
身を包んで(笑)
でも、人間の適応力ってすごい!
何だかんだヘヴィ系ミクスチャーが
好きになってきましたもん^^
こちらのバンドはYO-TAが加入してから
1か月と経たずにレコーディング決行。
2週間で7曲もアレンジ込みで
覚えろと来たもんだ(ill´Д`)
何とか弾けましたが^^;
レコーディング終了後
すぐにライブ活動開始。
YO-TAが加入する前から活動していたバンドだったので
わりかし早くにおいしい話がいっぱいもらえました。
UZUMAKIやONE OK LOCK
あとBACK-ONとかと対バンしました^^
ですが、プロを目指すと頑なに言っていた後輩に変化が・・・。
「ばっちょ・・・オレ、就職しようと思うんだよね」
※ばっちょ=YO-TAのあだ名です。
。 。
/ / ポーン!
( Д )
YO-TAは必死に自分の考えを伝えました。
「あんね、バンド活動ってさ、結局ライブハウス側に利用されて
こちら側もライブハウスを利用するのが一番いいと思うんだわ。
ライブハウス側はこちら側に集客を望んでいて
こちら側はライブハス側にいいブッキングを望んでいる。
だけどさ、こちら側が就職して土日しかライブできないって言ったら
ライブハウス側もブッキングしづらいじゃん。分かる?」
と、伝えたものの結局は本人の問題ですからね^^;
その話をしてから30分後くらいに
YO-TAはこう思っていました。
「オレもIT企業にでも就職しよ」
何でやねん!ってツッコミは受け付けません><
YO-TAは後輩と話して「気づいて」しまったのです。
「バンドでプロを目指す」ってことは
何て他力本願なんだろう・・・って。
本気で音楽で食っていこうと思うなら
ソロでもなんでやればいいじゃないか・・・。
だけどYO-TAにはバンド以外で
音楽をやっていこうという気はない。
「その程度」だと気づいてしまったんです><
だったら一人で出来る
一人でも目指せるものを始めよう!!!
ということで、兄がやっているITの仕事に興味をもちました。
世の中はIT時代って言われていましたし
すごく儲かりそうだなって(笑)
そこからはまた行動早いです。
「店長!オレ仕事辞めるよ!プログラマーになるんだ!」
あれ?
こう書いてみるとYO-TAの人生って
けっこう適当・・・???^^;
結局、ファーストキッチンを「辞める」と宣言してから
辞めるまでに半年かかりました。
店長に「あと半年居てくれる?」と言われましたし
バンドも解散するワケではなかったので
まぁ、ゆったりと(笑)
今思えばここでアフィリエイトを
始めれば良かった><
ブラック企業編
2007年初頭。
ファスートキッチンを辞め
コンピューター系の会社に就職です。
なんと!プログラム未経験だったにも関わらず
面接一発目で合格してしまいました^^
ちなみにこのとき入社した会社は
「人材紹介予定派遣」をしている会社でした。
「人材紹介予定派遣」というのは
会社で研修をしたのち他の会社に派遣として出向してもらい
ゆくゆくはそちらの会社に正社員として移ってもらうというシステムです。
この入社した会社が、まぁ・・・
俗に言うブラック企業というヤツでして
研修中はアホのような拘束時間でした^^;
同期が60人くらい居たのですが
最後まで残ったのは20人くらいです。
でも、このときのYO-TAの精神状態は
無敵(トランス?)状態でした。
他の方が「ツライ・・・」
ってしきりに言っていた研修でも
むしろ楽しめた記憶があります。
研修中の拘束時間は・・・
7時半に会社に到着
終わるのは毎日21時前後
遅いと24時手前くらい
週休1日制(日曜日だけ休み)
この内容の研修が3か月です。
しかも一度でも遅刻をしたら
クビというおまけ付きです(笑)
YO-TAは、この会社の入社式がある日・・・
午前中に最後のバイトに出て
午後は入社式に参加
夜はライブ
というハードスケジュールでした(笑)
研修中は周りの方がいっぱいいっぱいの時に・・・
平日は研修から家に帰ってからジョキング
週1の休みはバンド活動
と、他の方からしたら普通じゃないことを
「オレは何ともね~よ?」と言わんばかりに
こなしていました(笑)
YO-TAが人生で本気になった2回目です。
「本気でやろう!」と思ったときって
本当に力がみなぎってくるんですよ^^
やる気があり過ぎて同期の方を
叱ったりもしていました^^;
「やる気ないんだったら辞めれば?」
とか普通に言っていました(鬼)
でも本当は優しい人間なので
誤解のないように(爆)
3か月の研修を無事に終え
他の会社に派遣・・・となる段階だったのですが
面接でことごとく落とされました orz
本当は3か月以内に派遣先を決めないと
クビと言われていたのですが
4か月目の延長が認められました。
ですが・・・
4か月目も出向先が決まらない orz
これは後から気づいたことだったのですが
研修を行っていた会社のカラーにYO-TAが染まり過ぎていて
他の会社に合わなくなってしまっていたんです><
4か月目に行き先が決まらなかったら
クビだと言われていたので
覚悟をしていました。
が、ある出来事があったのです。
YO-TAの上の上の上~くらいの上司が
一番トップの方にこう言ってくれたらしいのです。
「YO-TAだけは絶対残してください!」
「アイツは絶対に出向先が決まる!」
その話を聞いて泣いちゃいました。・゚・(ノД`)・゚・。
ただ、この会社の恐ろしいところは
4か月目で出向先が決まらなかった他の同期は
本当に切っちゃったんです。
その中には仲の良い同期もいたので
自分が会社に残れた嬉しさと、
同期の仲間に悪いという気持ちの板挟みになって
その日の夜は眠れなかったのをよく覚えています。
その仲の良い同期とは今でもたまに会ったりします♪
面白い縁でその同期の名前はYO-TAの父と同姓同名(笑)
研修5か月目
YO-TAが今の会社のカラーに染まり過ぎていたということに
ひょんなことから気づきまして、力を抜いて面接を受けたら
一気に2社も受かっちゃいました。
今までの苦労はなに???
( ゚д゚)ポカーン
この頃に後輩とのバンドが解散。
そして、出向先の会社に
2か月の研修の後、本入社。
このとき会社に入社したのが2007年9月。
この会社は2009年12月まで続けることになります。
生きた屍時代
前にいたブラック企業はかなり厳しいところでしたが
案外YO-TAには合ってたんでしょうね・・・。
本入社した会社はぬる過ぎて
自分のために全然ならない会社でした(爆)
良き麻雀の師匠とは出会えましたが
本当にそれだけだった気がします。
何といっても給料が年々上がっていくのみ!!!
給料が上がらないよりはマシですが
YO-TAは本当に「やってやる!!!」
っていう気持ちで入社したんです。
成果に見合った分
給料を上げる体系こそが
望むものでした。
だけどだらだらやっていても
どんなに頑張っても給料が変わらないんじゃあ
やる気なんて起きるワケありません><
そんなぬるい会社で怠惰な生活を
2年以上も続けることとなります。
と、ここで麻雀の話を挟みますね♪
雀士時代
YO-TAは2008年まで麻雀が打てませんでした。
「社会人になったら麻雀打てるようになりたいな~」
とは思っていました。
そんなときに会社の先輩が
めちゃくちゃ麻雀好きなことが判明。
その先輩は家にある漫画の8割は麻雀漫画という雀狂。
「正気の沙汰じゃないっ・・・!!!」

その先輩は実力もかなりのモノです。
「自分速攻麻雀覚えますんで一緒に打ちましょうよ!」
相変わらず勢いばかりのYO-TAです(ノ∀`)
2007年終わりごろに
任天堂DSの「役満DS」を購入し
ある程度のルールを掴む。
確か、初雀荘は2008年1月3日に行った
渋谷の「メカバビィ」でした。
今思うと牌を切るの遅くて
周りに迷惑かけたんだろうなぁ><
そこからは急速に
麻雀の腕が成長。
仕事中でもメッセンジャーで先輩に・・・
―――――――――――――
226778三四五六②③④⑤
ドラは5
↑ 何切ります?
―――――――――――――
みたいなやりとりをするほど
麻雀にハマッていました(ノ∀`)
次第に知り合いだけで打っているのに満足できなくなり
単身でフリーの雀荘に行くようになりました。
このときYO-TAはまだ符計算ができません。
だけど・・・
「まだ始めて間もないので
符計算できませんがよろしくお願いします!」
と、雀荘に乗り込みました。
なんでその情熱を仕事に向けられないかなぁ><
はい、給料が上がらないからです(笑)
それからは週4回のペースで
フリー雀荘に通うことになります。
(もちろん符計算は覚えましたよ^^)
そして2009年の夏
事件が起こります。
夏のボーナスオールカット
社長曰く「冬も期待しないでくれ(キリッ)」
「期待しないでくれ(キリッ)」
じゃね~~~~~~よ!!!
やってられっか(ノ`Д´)ノ彡┻━┻゛:∴
この事件から
会社を辞める気持ちが
一気に高まります。
「石の上にも3年」といいますから
3年は会社を続けようと思っていましたが
もう悠長なことは言ってられません。
とりあえずFXの専業トレーダーにでもなるかな・・・。
はい、バカです(ノД`)
FXで20万近く失いました orz
こうなったら「アレ」しかないな・・・
と思いました。
兄が少しだけやってみたけど
1か月31円にしかならなかったという
あの・・・
アフィリエイト
はい、ここでようやく出てきました
アフィリエイト。
アフィリエイトやネットビジネスと聞くと
なにげ多くの方が・・・
「楽して稼げる」
というイメージを抱きやすいらしいのですが
YO-TAの場合は全然違います。
むしろ「稼ぐのは難しいだろうな」って思っていました。
(兄から31円の話を聞いていた影響でしょうね^^;)
専門的な知識とか必要そうですし
毎日のブログ更新とかがありますから・・・
「敷居が高いビジネス」
と思っていたため
敬遠していました。
なので、より楽して稼げそうな
FXに手を出したのです(笑)
だけどここでアフィリエイトで人生を変えないと
ずっと会社に対する不満を抱えたままの人生に
なってしまう・・・。
「それなら専業アフィリエイター目指して一直線だ!!!」
2009年9月、アフィリエイターYO-TAの誕生です。
そしてアフィリエイターに
夏のボーナスALLカットに続き
基本給10%カットのお知らせを聞いて
速攻で「辞めます」と申告しました。
2009年12月で退職となったので
それまでにアフィリエイトで手ごたえを感じれなかったら
「葬儀屋にでも就職しような~」なんて考えもありました。
(葬儀屋の需要高そうですからね^^;)
で、アフィリエイトの収益はと言うと・・・
ひと月目はたったの200円程度という無残な結果 orz
ですが、ここでワンデイアフィリエイトという
情報商材を手にすることになります。
このワンデイアフィリエイトの実践を始めたのをきっかけに
アフィリ報酬の推移はこんな感じになりました^^

会社を辞める12月の時点では
月収3万アフィリエイターでしたが、
「3万稼げれば10万も稼げるだろ」
と安易に思って本当に稼ぐことが出来ました(笑)
言うまでもないと思いますが
YO-TAが人生で3回目の本気になったのは
もちろんアフィリエイトに対してです。
ちなみにアフィリエイトの作業時間は
始めたばかりの9月は平日2時間程度。
10月になって平日4時間くらい。
11月に至っては平日5~6時間くらい。
仕事から家に20時頃帰ってきて
夜中の3~4時までやるのは
当たり前になっていました^^;
会社の有給が余っていたから
アフィリ作業がノッていたら
気分で休む(爆)
(別に仕事詰まっていませんでしたしね^^;)
会社の上司からはモチベーションが
下がりまくっていることを指摘されましたが
そんなの関係なし!
「お前らに嫌われることで
アフィリ報酬が1円でも稼げるなら本望だ」
「勝手に嫌ってくれ」
「オレのこれからの人生にお前らは関係ない」
辞める直前はこんな ↑ 気持ちでした。
YO-TAの考え、極端過ぎますかね^^;
だって会社の中で尊敬できる人
一人もいなかったんですもん(ノД`)
更に言うと、アフィリエイトをするようになって
会社の人間が、その・・・
「バカ」
に思えるようになってきたんですよね(爆)
アフィリエイトを始めたときから
YO-TAは運営しているブログ・メルマガの「社長」です。
はっきり言って雇われている人間とは
「生きるモチベーション」が違うと思っています。
(雇われている方、すいません^^;)
これだけ大口叩いているのですから
アフィリエイトに対してはすごく真剣です。
アフィリエイト初心者さんから
相談メールが来ようものなら
速攻でメールを返しています。
誠心誠意を込めて・・・。
YO-TAが「お客さま」を「お客さま」と
自然に言えるようになったのは
アフィリエイトを始めてからです。
※それまでの呼び方は「客」
仕事に対してここまで打ち込んだのは
生まれて初めてです。
だからこそアフィリエイトで稼ぐことを
甘く見ている方はムカつきます。
もう、すっごくムカつきます。
「月に100万稼ぐのが目標です!!!」
って言っている方が消えていくのを
何人も目の当たりにしてきました。
実は大して本気じゃないの
分かってるんですからね><;
念を押しておきます。
アフィリエイトで稼ぐのは
「楽」ではありません m9(・∀・)ビシッ!!
だけど、いくらでも
「可能性」があるビジネスです。
(潰れかけの会社にいるよりはよっぽど 笑)
ひと月に100万、200万稼いでいる方も
それなりにいますしね^^
YO-TAの当面の目標は
ひと月のアフィリ報酬を
30万、50万、100万と増やしていくことです。
それと同時進行でメルマガの読者さまを
3000人、5000人、10000人ですね。
※追記
2010年05月
月収30万円を突破しました(・∀・)9

アフィリエイトでもっと稼げるようになったら
とりあえず親孝行します^^
両親にいい肉を食べさせてあげたいです(〃∇〃)
色々キツイことも言ってきましたが
YO-TAは本当は優しい子だと思います(爆)
他のアフィリエイターさんとスカイプをすると
よく「落ち着いた声」と言われます。
ブログ・メルマガの印象だと・・・
「ちぃ~~~っす!YO-TAっす~~~!」
みたいな印象を抱かれるようなのですが
全然違いますからね><
普段は大人しくて優しい子なんです(ノД`)
だからこれからアフィリエイトを始めようとしている方
またはアフィリエイトで何か迷いがある方
お気軽にYO-TAに相談メールをください^^
メールの返信は12時間以内
遅くとも24時間以内
あなたのメールに返信するまで
ブログ・メルマガの更新はしません。
アフィリエイトで本気で稼ぎたい方には
とことんお付き合い致します^^
クソ長いプロフィールにお付き合いいただき
誠にありがとうございました。
今後もYO-TAをよろしくお願いします。
2010年3月6日







